階層の再生産についての議論で思ったこと

今授業の活動でこのテーマを取り扱っているんだが
なんだか考えることが多い。
そもそもどういう話かというと
現代日本において金持ちの子は金持ちに、
貧乏人の子は貧乏人に、という風潮が
生まれつつあり、それに伴って
貧富の格差が広がりつつある。
それってどうよ?ということなんですが
……
このテーマで色々と議論していると
なんだか自分が学歴論者か金の亡者にでも
なったような気がして来る。
なんでかと言うと
「カツカツでもそれなりに幸せに生きることが
できるんだったらそれでいいじゃん?
別に問題なんてないじゃん?」
という意見(要するに格差をとりあえず
肯定してしまう人)が出てくるからなのだが
これが出てくると反論しがたい気分になる。
いわゆる「お金で買える幸せ、買えない幸せ」
というヤツで、これを言われると
そりゃそうだけどさあ、となる。
でも自分を振り返ってみると、それなりの家庭に生まれて、
まあ大学にもとりあえず通っていて、
という生活を送っているわけで、
そういうヤツが「お金だけが幸せじゃない」って
言ったら噴飯物の話だ、ということになる。と思うわけだ。
……何が言いたいのか分からなくなって来たが、
格差拡大の世の中を生きていく中で生活の知恵として
「お金で買えない幸せ」を唱えるのと
それなりに上にいる人が
「お金で買えない幸せ」を(お前ら我慢しろよ、という感じで)説くのとでは
なんか違うんじゃないかと思うわけです。
お前はどっちの立場にいるんだと言われると謎なんですが。
……
でもアレだ。
こんなこと言えるのは
貧富の「貧」を「まだ食える」というレベルに
置いているからだよなあ。
食うに詰める貧困を前にしてこんなこと(貧富の格差は問題かどうか)
言えるわけがないから。
ただ問題は、この問題の文脈で重要なのが
その食うのにも詰める貧困がある、
(ありますよね)ということではなくて、
その割合が以前と比べてどれだけ変動しているか、
なのかなと愚考してみたり。
……
すごい勢いでグダグダだなあ。うん。