サークルKが近くにできる。
のがうれしい。
どんなに田舎なのかという話だけどやっぱり家から徒歩すぐの場所に出来ると嬉しい。
心のなかにある町内地図にでっかいウェイトが置かれた感じ。時空が捻れて重力場が発生するよ。うえへへへ。
悩み事がベタであるかどうかと、その悩みが深刻であるか否かは全然関係ない。
たまに忘れてしまうがそれはなぜか。
多分悩みが陳腐であればあるほど、その解決策はこれまで何千年かけて人類が頭を捻って、それでも見い出されずに来たことだからだ。
だからその悩みが表面的に形を変えてやってきたときしか私達はハッと出来ない。心に響かない。
陳腐化されてすりへった悩みは、打ち明けて、共感を得るのに技術がいる悩みなのだ。
だからだ。しばしば私達が警戒するのは。
心が無くても技術は扱える。その点で詐欺師も小説家も変わらない。受ける心の揺さぶりは変わらないのだ。
一点違うのは、揺さぶる前に金をとるか、揺さぶったあとに金をとるかの違いだけ、とも言える。
時間来たのでつづく
目標
とりあえず「やがて愛しき若さかな」にしたい。
なんでもかんでも腐してしまう私がいやだ。
特に、人に対して「青いなあ」とか思う自分がイヤ。
人様のことを笑えない状況なのに、どうにもそう思ってしまう。
泥沼に嵌まる人間を指差して嘲って、自分の足元が見えてない人間なのがなんとも駄目。
しかも「泥沼に嵌まる人間」に実は私も含まれていて、救えない。
自分も他人も否定して何が残るというのか、うん分からん。というかそれって分裂してますがな。つーかこのエントリ上のエントリと矛盾してる。
ともかく、
それならいっそ、他人を馬鹿にしきるか、自分を馬鹿にしきるのか、のどちらかの方が行動の指針がぶれないという点ではましだ。
ただこれは、自分か他人のどちらかを奴隷にすることでもある、私はそれをしたくない。
一番いいのは自分も他人も肯定出来ることだと分かってる、でもそれが出来ない。
自分と他人の区別をつけることが難しいから、出来ない。
「私が私をどう思っているのか」と「他人が私をどう思っているのか」が区別し切れていないのだ。
だから「私が嫌い」と「他人が嫌い」がごっちゃになってしまう。
これは苦しいし、ぶれる。重要なことを決定するときに価値判断が出来ない。
しかもこれはループである。つまり
・私が嫌いな私が嫌いな私がきら(以下略
★どうしましょう
1、システムに外的要因を加える。しばしば外圧。つまりコントロール不能。
2、何がしかがんばる、成果をあげる。成功するかもしれない(しないかもしれない)
3、あきらめる。時が解決するさ。(しないかもしれない)
とりあえず2をした後に考えよう。そうしよう。
青春フローチャート。
自分0「自分すごい。なんかなんでもできる気がする。将来のゆめはべんごしかおいしゃさん、あとまんがかにもなりたいです」
↓
自分1「自分の存在が恥ずかしく、消え去りたくてたまらない、たまらないったらたまらない」
↓
自分2「恥ずかしいだとお!世の中の大半にとって貴様のことなんかどーでも良いわ!つーか消えろ。今すぐ消えろ」
↓
自分3「でも自分には自分しかいないんです。だって自分は自分なのですから」
↓
自分4「自分自分うるさいわ!他に目を向けんかいな!全くアホらしゅうてアホらしゅうてやがて悲しき若さかな」
フローチャートと言いつつ、この全部がときに同時に来るのが青春。
どうかな
携帯で登録したのでテスト。
こんなとき
・足が痛いとき
足を切りおとしたくなる。
・お腹が痛いとき
腸の中にポンプで水を通したくなる。
・腕に虫刺され
針で膨らみをつつきたくなる。
・指の関節に虫刺され
メスで(以下略
・耳が痒いとき
外耳道を引っ張りだして、縦に切開してからアルコール綿で拭き拭きしたくなる。
・なんかワシ鼻じゃないかと思ったとき
鼻の出っ張りをヤスリがけしたくなる。
・風邪でお風呂に入れなかったとき
なんかSFに出てくるようなゲートを通ったら、自分と老廃物(無駄毛含む)を分けてくれる、そんなシステムはないものか。